*魂の次元* (by としべえ)

肩から力を抜いて、自由に楽しく生きる。

熊には年に四回の誕生日がある、我輩には年に三回の誕生日がある

はてな村の村民たちよ。
きみたちは熊に年四回の誕生日があるのを知っているか。

知らないのなら、それはそれでかまわない。
なにもかも知り尽くすなど、所詮できるわけもないことだからな。

熊の年四回については、春休みの自由研究で調べてもらうことにして、今日は我輩の年三回の誕生日について、説明しよう。
吾輩は、平均的人間とは言いようもないマリリンモンロー・ノータリーンな人間ではあるが、そうは言っても、ただの凡百の人間に過ぎない。

生まれたときには誕生日は一つしかなかった。

とはいえ、江戸時代以前には、日本人には各人固有の誕生日など実質的になかったのだから、ゼロと比べれば無限大の祝福とともに生まれてきたのだと言っても、ばちは当たるまい。

その我輩が、二つ目の誕生日を手に入れたのは、m.x.に登録した日のことだ。
m.x.に限らぬが、ネット上のサービスというものは、いつも相手の寝首をかこうと、虎視眈々と狙っているおそろしい忍者のような存在だ。

けっしてぞんざいに扱うべき代物ではない。

もちろんきみたちも、個人情報の保持には、十分注意を払っていることだろう。

そして、凡百の人間にすぎない我輩ではあるが、m.x.のようなサービスに戸籍上の誕生日を素直に伝える必要がないことくらいは分かっておった。

そこで吾輩は、新しい誕生日を手に入れることになったのだ。

この方法を使えば、人はいくらでも誕生日を増やしていけるわけだが、何が楽しくて、わざわざネット上のサービスに登録するごとに、誕生日を増やしていこうなどと思うだろうか、いやない。

そうそう、我輩の第三の誕生日のできあがった理由は、また別の事情なんよ。

あれは45歳になる年の、たぶん初夏の頃のことだったと思います。

当時、精神福祉の界隈で働いていたぼくの先輩が、自分のうちに音楽スタジオみたいなスペースを作っちゃったんですよね。

で、先輩の音楽仲間にまぜてもらってたぼくは、そのスタジオで初ソロライブをやることになっちゃったんです。

で、そのときのライブのタイトルを、「45ライブ」としたわけです。

そのとき見に来てくれたお客さんは、せいぜい二十人くらいだったのですが、それなりの玄人肌の方も見に来てくださって、何かを感じてくださったようだったのに気をよくして、ぼくはよし、ここはもう一発、きちんとしたライブハウスでやってやるぞ、と怪気炎を上げました。

とはいっても、ぼくのようないい加減な人間が、本当にちゃんとしたライブハウスでやるのは、ちょっとばかし、大変なことです。

そこで、たまたま知り合いが二人も常連で出ているハコで、しかも、誰でも簡単に出させてもらえる、東京は高円寺の無力無禅寺に出ることにしたのです。

そのときのライブの日取りが、「45ライブ」のちょうど半年後だったもので、今度は「45.5ライブ」と銘打ったわけです。

このときは、ぼくが勤めていた精神の作業所に通っている、うら若き女の子が二人見に来てくれたし、「45ライブ」の仕掛け人の先輩も見に来てくれて「那賀乃さんはこういうライブハウスでやるのが、ホントに似合うねぇー」と言ってくれたり、これまた、充実の経験が持てました。

とまあ、そんなわけで、我輩には、年に三回の誕生日があるわけなんよ。
んでもって、きのうは、「.5」の誕生日だったんよ。

えー、以上で、熊と我輩の誕生日の話はおしまいです。

んでもって、熊の名はパディントンです。

ほいじゃー、またねーーっ。

[那賀乃とし兵衛(ながのとしべえ) 2017.03.20 ネパール・ルンビニ]

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