2010-01-01から1年間の記事一覧
クリスティーナ・ホール「言葉を変えると、人生が変わる」大空夢湧子訳、2008年、ヴォイス google ブックスでカスタネダを検索していたら、この本が目に入った。 カスタネダの「イクストランへの旅」から言葉によって自分を変える方法を書いたくだりが引用さ…
ひさしぶりに ひとごみにでたら つかれた
じぶんをせめないこと そうすれば ひともせめないですむ
だるさをつれて きょうはおでかけ ひととあって じぶんをみつめよう
遠藤ミチロウが歌っている「Mr. ボージャングル」しか知らなかったんだけど、ずいぶん昔のアメリカの歌だったんだね、こいつは。 ミチロウのバージョンももちろんいいんだけど、こっちにあるニーナ・シモンのもとってもいい。 よかったら聴いてみてよ。 http…
びーるをひとかん のみながらなので ながいぶんしょうは かかなくていいや ひらがなばかりで よみづらいけど そんなよけいなきづかい ひつようもないし それにしても ぼくは また ここにいて おおむね あしたも やっぱり ここにいる そんなひびを くりかえす…
泡々(うたかた)のように浮かんでは消えてゆくぼくの思考。 それをとりあえず紙に記(しる)してみる。 自分がなくなってしまいそうで恐いから、そんなことを しているのかもしれない。 とすればその逆手を取って、「自分」を消すためにここからは 書くのだ。 …
ここはタイ。 人が「微笑みの」とか枕詞をつけて呼んだりする国。 つい先頃まで首都バンコクでは流血の事態が続いていたけれど、 田舎街にいるぼくにはそれほどの実感もなく。 何かを表現したい、という煩悩がまだ残っている。 あの人やこの人の weblog を読…
はてなはいく はじめました つづくかは不明
so it comes.
http://tosibee.tumblr.com/ を始めたため、 こちらにはあまり書かなくなりそうな見込みですので よろしくお願いします。
ひとりだけどひとりぼつちじやない だって世界はつながっているから
間違いというものは存在しない。 取り返しのつかないこともまた。
一、完全に悟ることはできない。 二、完全に悟ったとしても、それを完全に伝えることはできない。 三、完全に伝えられたとしても、全ての人に伝えることはできない。
今は予告のみ。日を改めて書きます。
カート・ヴォネガット「国のない男」によると、マルクスが宗教を共産主義と相容れないものとして否定した、 というのは後世の人の誤解のようだ。 以下、引用。 スターリンの教会破壊や現在の中国での教会破壊についてだが、この種類の宗教弾圧はカール・マル…
「欲望と消費 トレンドはいかにして形づくられるか」スチュアート&エリザベス・イーウェン、 小沢瑞穂訳、晶文社1988 ぼくたちは、ぼくたちの生きる社会を「資本主義」社会として受け止めているのだろうか。 それとも「消費主義」? あるいは「浪費主義」?…
山田正紀「地球・精神分析記録(エルド・アナリュシス)」 心理学的冒険sf。 今から三十年ほど前、中学生の時に読んでさっぱり分らなかったが、帯の惹句、 「狂っているのは私なのか、それともこの世界なのか」というのが忘れられず再読した。 いささか古め…
ハインリヒ・フォン・クライスト「チリの地震」 十八世紀から十九世紀にかけて三十四年の短い歳月を生きたドイツの人の短編集です。 やや古めかしくはありますが、奇妙な味の短編好きのかたなら一読して損はない。 表題作の「チリの地震」など悲劇的な因縁譚…
何かがかかっているにしても この命がかかっているだけ ただそれだけ
いまひとつ覚悟は足らない そいつは承知の上で また一歩前進
人は自由に生きていいし 現に自由に生きている そのことがだいぶ分ってきた
団地の中の小さな公園で 酒を飲みながら 見えない視線を感じた 風が吹いてた 水仙の花が風に揺れてた なずなの花が風に揺れてた ほとけのざの花が…… いや、ほとけのざの花は揺れていなかった 風に身をまかせ 風に身をまかせ ぼくはどこへ
人間には 生涯変わらない 方向性(ベクトル)がある
酒のない世界 そいつを生きて見るのも いいかもしれない
いつもいつでもいつまでも ぼくは こんなふうにいきるんだね
ぼくたちは すれちがいながら であってゆく
出口は見えない それでもぼくらは 進んで行くんだ
一歩前進 一歩後退 そうやってぼくらは 生きてゆくのですね
三月六日は神田司町で DAYA さん、幹夫さん、二子さんのワークに参加した。 対談と銘打ってはあったけど、グループワークのつもりで参加して、実際そういう感じだった。 会場になかなか辿りつかなくて、午前の部は最後のほうでちょろっと顔を出した程度。 だ…