2006-01-01から1年間の記事一覧
さて、前々項、前項で、あお向けに横たわり自分の体の様子を確認してみたわけ だが、この項では実際に体を動かしてみる。では、引用を。 ([]内は、那賀乃の注釈) ○一回ごとに新しく動きをはじめる もう一度横たわり、先ほどと同じように両腕両脚を伸ばす。た…
前の項では、あお向けに横たわって体の様子を丁寧に確かめて みたわけだが、どういうことに気づいただろうか。 フェルデンクライスは、次の引用で、筋肉の基本的トーヌス(無意識に 働いている筋肉の緊張・張力)という点からこのことについて説明している。 …
この項ではまだ動きには入らないが、まず自分の体の様子を確かめて みることにしよう。 なお、これからの練習は、楽な服装で、畳かじゅうたんの上など、ある程度 柔らかさがあり、手足が楽に伸ばせる広さがあるところで行なう。 では、引用を。([ ]内は、那…
この項では、フェルデンクライスの考え方をもう少し説明してみる。 まずは「フェルデンクライス身体訓練法」から引用(123ページ)。 このレッスンでは、随意筋のコントロール機構の基本的な諸特質の いくつかが見分けられるようになるだろう。筋肉の基本的ト…
フェルデンクライス・メソッドという体の調整法があって、これは モーシェ・フェルデンクライスというイスラエルの人が始めたものでして、 単純な体の動きを繰り返すことと、それに対して十分意識を向けることにより、 日々の体の使い方を無理のない効率的な…
ぼくの場合、酒のない人生は今のところ考えにくい。 タバコは体に合わないのだが、ニコチンの力に負けてついつい吸ってしまう。 (多くて日に五本ほどだが) 世の中にはそのほか様々な嗜好品、そして嗜癖があり、みなさんの多くも なんらかのたしなみを持って…
「ハコミを学ぶ」ロン・クルツ 「からだは語る」ロン・クルツ&ヘクター・プレステラ ハコミ・セラピーないしハコミ・メソッドの、からだに注目しつつ、 相手に寄りそう感じは、好感を持てる。 人間の、子どもの頃からの経験から来る「思い込み」がからだに…
ハコミセラピーでは、「けっしてクライエントを引っ張らない」し、 「相手をよくしようとも思わない」という。 クライアントの主体性にまかせるということなんだと思う。 ぼくの関わっている場は、作業所なのだが、通ってくるメンバーの 主体性を大切にしよ…
少し記事も溜まってきたので、カテゴリの変更をしました。
テンセグリティといえば、カスタネダがはじめたボディワークに つけられた名前で、「呪術の実践―古代メキシコ・シャーマンの知恵」 という本に紹介されているのだけれど、[こちら]で紹介されてるのは おおもとのバックミンスター・フラーが名づけた建築構造…
四十肩というのだろうか、左の肩の背中側が筋を違えた感じでかなり痛い。 腕を上げるのはさして痛くないのだが、寝床についてしまうと寝返りを 打つのが一苦労だし、また起き上がるときに痛みを予期しながら、 それに耐えねばならないのが、なかなかしんどい…
体のことに意識を向けるようになったきっかけの一つに、 竹内敏晴の「からだとことばのレッスン」を読んだことがある。 この人は演劇・教育系の人なのだが、この本に書いてあるワークのまねをして 体の力を抜いてみようとしたところ、これが、全く抜けない。…
「働かないって、ワクワクしない?」アーニー・J・ゼリンスキー(ヴォイス) この本はアメリカ的な文脈で書かれているから、自由時間をこそ、 たのしく生きましょう的な物言いになっていて、そこんとこはぼくの 趣味とあわないんだけれど、フルタイムで働いて「…
8月23日がレインの命日と言うことで、 http://d.hatena.ne.jp/woeswar/20060823 に書き込みが。 久しぶりにレインの詩を目にして、なんだかなつかしい。 そして、レインは悲しい人だなぁ、とあらためて思う。
http://www.eleutheria.com/vquest/vindex.html 文化人類学者あがりの「呪術師」カルロス・カスタネダに関するページ。 色が派手でやや読みづらいが詳しい。 カスタネダのドン・ファンシリーズはいろいろあれど、一冊ということなら、これを。 「未知の次元―…
本日より書き込み再開します。 これからは週一回程度、書き込みをしていこうと思いますので よろしく。
一日一日を気持ちよく生きていきたいのなら、 一瞬一瞬、自分が何をしているかにまで きちんと気を払えるようになれたら最高。 その域に達することのできる人は少ないだろうけど、 どこまでできるかはともかく、目標はいくら高く持っても 悪いことないですよ…
都合により、九月末まで更新お休みします。
この世はまぼろしで、しかも完璧で、 しなければならないことなんて何もない上に人はみな自由に生きているとすれば、 ぼくらが生きていく上で、一体なにが問題になるというのだろう? 一つの答えは、そう、問題なんて何もない、ということだ。 ぼくが、あな…
人はみな自由に生きている。 そう考えると、この社会について、わりと納得しやすい気がする。 自由と言っても無論、やりたい放題というわけではない。 だって、みんながしたい放題、勝手気ままにやってたら、今よりもっと 混沌とした社会になるだろうからね…
この世界は完璧である、と言ったら、何をバカな、と思われるだろうか。多くの人は、こんな世界ちっとも完璧じゃない、と思うかもしれないし、 ぼくにしたって、何て奇妙で、わけのわからない世界なんだ! と ついつい思ってしまうのも現実である。 けれども…
「しなければならない」という言い方をうかつに使ってたりしませんか? ぼくもずっと、うかつにも使いつづけていたんだけど、あるとき、 これはどうもよろしくない、と気がついて、日々練習を続けた結果、 近頃はほとんど使わずにすむようになりました。 で…
子どもの頃からぼくは、この世界の実在性については素朴に 信じて生きてきたようだ。 そんなだから、いわゆる思春期というような頃には、どうしてこの世界は こんなにかっちりしてるんだろう、もっとぐにゃぐにゃとしてれば いいのに、なんてことも思ったり…
ぼくという人間はどうにも興味が分散している。 なにか一つことに集中するということが苦手で、 あっちを少しかじり、こっちを少しかじりといった塩梅で、 とにかく腰がすわらない。 そんなぼくが始めるこのページに普通の意味でまとまりがつく わけもないの…
現在テスト運用中です。 近日中の本稼動に乞ご期待!