+魂の次元+ (by としべえ)

肩から力を抜いて、自由に楽しく生きる。

仏教は「苦」を「楽」に変える方法。あるいは、この世のすべては「苦しみ」なのか?

仏教では「一切皆苦」といい、「生老病死のすべてが苦である」とも言います。

日本では仏教が葬式と結びついていることもあり、これだけを聞くと、
「仏教って悲観的で辛気臭いよな」
と思ってしまいがちです。

けれども仏教の開祖であるゴータマ・ブッダが実際に言ったのは、
「この世のすべては苦しみの元になりうるが、正しいものの見方を身につければ苦しみを離れて、幸せな人生を送ることができる」
ということです。

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「これが正しい瞑想の方法です」。あるいは、本当に自由な瞑想を練習するために。

ある人がネットで匿名で、自分が座禅をするとき、次のような二つの状態があるのだが、どちらが正しいやり方だろうか、という質問をしていました。

一つは、ただ座って、そこで起こるがままに任せるやり方で、この場合は日常の意識に近く、場合によっては思考が続くことによって疲れてしまう場合もあるとのこと。

もう一つは、半眼にしている目の焦点をぼやかすようにして、すると意識も落ち着いた状態になり、思考は起こりにくくなり、リラックスした状態になるとのこと。

これに対して答えていた方は、曹洞宗系の座禅の修行をして、ある在家の老師から印可を受けたという在家の方で、座禅においては「何もいじらない」ことが大切なので、前者の「起こるがままに任せる」やり方が正しく、それを続けていれば、自然に後者の「リラックスした意識状態」に入れるようになる、と述べていました。

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「怒り」というやっかいな感情とどう向き合うか。あるいは、「怒り」についての私的考察。

前の記事では、仏教の「無我」という考え方について説明しました。
https://dimofsoul.mitona.org/entry/muga

私的なことですが、今日は怒りを相手にぶつけてしまう体験をしたので、そのことを「無我」の考えともからめて書いてみます。

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初期仏教における「無我」の考え方。あるいは、自分を体や感情と同一視しないこと。

「瞑想で一番大切なのは、物質や心理的現象を自分と同一視することをやめることだ」とビルマの僧侶ウ・ジョーティカ師は言っています*1

別の言葉で言えば、初期仏教における瞑想の大きな目的の一つは、「無我を体験的に理解すること」なのです。

そして「無我」という考え方が腑に落ちれば、人生における厄介ごとは格段に減ります。

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(はてな村のみなさんに贈る) 幻覚剤と変性意識・超入門

書評家の冬木糸一氏が
薬物はどのように精神を変質させるのか?──『幻覚剤は役に立つのか』 - 基本読書
という記事で、幻覚剤のもたらす変性意識の医療的意義について紹介しています。

アメリカのジャーナリスト、マイケル・ポーラン氏が自らの幻覚剤体験を踏まえて書いた
「幻覚剤は役に立つのか」
https://amzn.to/2MRIwEW
を通して、冬木氏の紹介は興味深くも的確ですが、残念ながら氏にとっては「LSDやマジックマッシュルームは『やばいドラッグ』」であって、氏自身はそうした薬物の経験をお持ちではありません。

この記事では、マジックマッシュルーム、大麻などの経験とともに、ヴィパッサナー瞑想も練習している者として、幻覚剤の効果と社会的意義を、その危険性も含めて素描してみます。

  • ガン患者の世界観変容
  • 幻覚剤による変性意識の実際
  • バッドトリップの恐怖
  • 幻覚剤は脳神経をどう活性化させるのか
  • 幻覚剤の使用は倫理的に許されるのか?
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「怒りを表現する」権利と「恐れを乗り越える」希望 - 新型コロナと「成長の図式」

新型コロナで社会的な不安が高まる中、フェイスブックやツイッターでこんな画像が拡散されています。

f:id:suganokei:20200409191844j:plain

「恐れを克服して成長しよう」というこの図の主張に対して、
「政府の無能に怒りをぶつける権利を奪うのか?」という反論が上がっています。

さて、この対立するように見える2つの立場ですが、実際のところはどうなのでしょうか。

  • 恐れを克服して成長する
  • 弱者の怒る権利を奪うな!
  • 「社会的な働きかけ」と「ネガティブな感情」の大切さ
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(奇言と戯言) 不安を抱えて軽々生きる

(奇言と戯言) 不安を抱えて軽々生きる
不安を抱えているのに、軽々と生きるだなんて、まったく言語矛盾した話だと思われるかもしれません。

でもまあ、言葉なんてのは初めから矛盾だらけなのでありまして、矛盾が嫌いな人は数学でもしていればいいのであります。

こいつは鏡の国に紛れ込んでしまったんだろうかと思って、では軽々と不安を抱えてみることにしようかと考えるあなたならば、ぼくが言いたいことや言いたくないことや、あるいは、ほんとは言いたいんだけど言わないようにしてることまでもきっと読み取ってくださるでしょうから、高々百年ほどの短くて貴重な人生のうちの数分か数十分をこの進みも止まりもしない文章のために費やしてくださるものと確信しております。

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