この世はまぼろしで、しかも完璧で、
しなければならないことなんて何もない上に人はみな自由に生きているとすれば、
ぼくらが生きていく上で、一体なにが問題になるというのだろう?
一つの答えは、そう、問題なんて何もない、ということだ。
ぼくが、あなたが、そして多くの人が、「まいったな、こいつは問題だ」
と思うからこそ、そこに問題が生まれるのであって、「ふむ、確かに少し
困りはするが、なに、こんなことは大したことじゃない、別に問題と
いうほどのことじゃない」と思ってしまえば、問題など消え失せてしまうって
わけだ。
そんなに簡単にいくわけないよと、あなたは思うだろうか?
たしかにこれを実行するのは難しいだろう。問題なんて何もないと
思えるようになるまでには、十年単位の時間がかかるかもしれない。
けれど、考え方自体は上に書いたとおりで、全く単純明快なことなのだ。
別の角度から眺めてみると、問題が生まれてくるのは、とかくままならぬ
ことが多いこの世の中で、所詮ままならぬと分ってしかるべきことを、
どうしてこうもままならぬのかと、無駄に嘆き苦しむからだ、という
こともできる。
このことは、お釈迦さんが言っていることと半分は重なるが、欲望のままに
生きて、欲望を膨れあがるにまかせれば、いずれどこかで満たされぬ
苦しみという問題がやってくるのは当たり前なのであって、初めから足るを
知ってさえいれば、問題は生まれてこないわけだ。
あるいは、欲望のままに生きるとしても、それが適うときもあれば適わぬ
ときもあるのだから、適ったときには「ああ、良かった」と喜び、
適わなかったならば「これは残念」と思うくらいのあっさりした心持ちで
いれば、これもまた問題の生まれる余地はほとんどない。
いずれにしても肝心なのは、自分の心の手綱をどうとるか、である。
仮に上に書いた話をもっともだと思ったとしても、それを実行しようと
すれば、様々な心の乱れがあなたを邪魔することになるだろう。
その心の乱れすら問題としないようになるためには、とにかく時間をかけて
気長にやるしかない。
で、ぼくの場合どうなのかって?
問題なんてない、とすっぱり言い切れるかといったら...
まったく覚束ない、というのが実情です、はい。