+魂の次元+ (by としべえ)

肩から力を抜いて、自由に楽しく生きる。

「がんばらなくていい」バツイチ・再婚・無職のぼくがわざわざネットにそう書くことの意味

ニッポンのがんばりすぎの皆さん、おはようさんです。

ぼくは五十を過ぎて、奥さんともどもインド辺りをふらふらし、ロクに仕事もしないで、瞑想ごっこをしているような人間です。

世の真面目に働いている方々のうちには、「ダメ人間の典型」みたいに思われる方もいらっしゃることでしょう。

けれどもぼくは、自分にはこの生き方しかないんだし、それでいいんだ、と思っています。

そして、今の日本の「しんどい」状況の中、「がんばれない」で悩んでいるあなたに、

「無理にがんばる必要はない」

ということを伝えたいんです。

「がんばるのをやめて別の道を選ぶ」ことには、勇気がいるかもしれません。

でも、先のことばかり考えていると身動きが取れなくなって、自分が潰れてしまうこともあります。

人生には、長い目で見なければ分からない、不可解な経験がつきものです。

その意味では、自分が潰れる危険をおかすのも、一つの経験なのですが、できれば、そうならないうちに手を打ったほうがいいかもしれない……。

「思い切りよく、その場その場の感覚だけで、人生を生きてきた」ぼくのこれまでの経験が、ひょっとしてあなたの参考になったらいいなと思って、この記事を書いています。

ちょっと、無茶苦茶すぎる人生なんで、あんまり参考にならない気もしますけど(笑)。

そして、「あなたの参考に」とは書きましたが、途中まで書いてみて分かったのは、ぼくは、心の底に淀んでいる澱を、こうやって記事にして、きれいさっぱり捨て去ってしまいたいんだなぁ、ということ。

結局のところ、それがこの記事の意味ですので、ぼくのカルマの成仏を手伝ってくださるみなさん以外は、これ以上読み進める必要はないかもしれません。

はじめて会ってからひと月ちょっとで結婚した話

それは、バブル景気もそろそろ崩れ始めたころ、ぼくが27歳になる年の5月のことでした。

当時はインターネットというものはまだなかったのですが、パソコン通信というテキストベースでやりとりをするシステムは世の中に存在していました。

東京の江戸川区に住んでいたぼくは、友だち数人と一緒に小さなパソコン通信のサイトを運営していたのですが、そこで友だちの友だちである、二歳年下の女の子と知り合ったのです。

そして、知り合ってひと月も経たないうちに「結婚しない?」と軽くプロポーズしてしまったのです。

すると意外なことに、相手の女の子から、イエスの返事が貰えてしまい、しかも彼女が「ジューン・ブライドがいい」というので、なんの準備もないまま、とにかく双方の親に挨拶だけは済ませ、6月中のある日に役所に婚姻届だけを出したのです。

その頃、ぼくは男の友だちと鉄筋アパートをシェアしていて、彼女の方はアパートで一人暮らしでした。

それで、ぼくらは一緒に住むこともせず、最初の半年ほどは、ぼくが彼女のアパートに頻繁に遊びに行くという形で、通い婚のようなことをしていたのでした。

とまあ、そんな次第ですので、全然普通の結婚じゃありません。

この調子で話を続けると、超大作になってしまうので、はしょりますが、そんな普通でない結婚に応じてくれた彼女でしたが、ぼくの余りの常識知らずな行動にそのうち見切りをつけることになります。

ぼくは無謀にも東京を捨てて、南伊豆に引きこもる計画を立て、彼女はそこまではついてきてくれたのですが、いつまで経っても仕事もせずに、畑のまね事をする以外は、ぼーっとしているだけのぼくに、やがて愛想をつかし、離婚すると言い出したのです。

今から考えれば、まったく当たり前の話ですが、ぼくの頭の中はどうも少し普通ではないようで、どうして彼女がそんなことを言い出すのか理解することができず、なんとか考えを変えてもらえないかと、しばらくの間、彼女を説得しようとしました。

けれども、そんな状況で説得がうまくいくはずもなく、彼女の意志が固いことを思い知らされて、離婚を受け入れました。

結婚して四年ほど経ったときのことでした。

喧嘩別れしたわけではありませんでしたので、離婚してからも時々顔を合わせることはあり、なんとか復縁できないものかと、ぼくのほうは思っていたのですが、あるとき、彼女から「最終的な別れ」の手紙をもらい、「あー、これでもう、彼女とはお別れなんだな」と分かりました。

今思い出しても、悲しさが込み上げてきますが、ぼくという人間の身勝手さを教えてもらった彼女には、本当に感謝しています。

彼女は再婚して、子どももおり、幸せに暮らしているということを、ネットづてで知り、ああ、やっぱり、あれでよかったんだなと、今では納得しています。

二回目の結婚も知り合ってひと月ちょっとでした話

前の項を読んで、このこの項のタイトルを見たあなたは、

「きみは一回目の結婚から何も学ばなかったのか」

と思われたかもしれません。

たぶん何も学んでいなかったのかもしれません。

人間って、何度でも同じ間違いを繰り返すものですよね。

えっ、あなたはそんなことはない?

それはすばらしいことです。

でも、世の中にはぼくのように、何度でも同じ間違いを繰り返す人間は少なからず存在するのです。

これがカルマってやつでしょうか。

最近は瞑想をやって、カルマ落としに励んでるんですけれども。

それは、ともあれ、一回目の結婚から十分には学んでいなかったと思われるぼくは、離婚してから四年が経ち、33歳のときに再び、出会ってひと月ちょっとの、今度は同い年の女性と結婚することになったのです。

そして、十分な学びができていなかったぼくは、結婚して二年ほど経った頃に、またしても奥さんから「別れ話」を切り出されてしまうのです。

そして数々の修羅場を越えて今に至った二度目の結婚

ぼくという人間は、「人の気持ちを感じ取る能力」にかなりの「欠損」があるようで、最初の奥さんについても、ぼくの身勝手な行動で彼女が「どれだけ困っていたか」をまったく理解できていませんでした。

同じように、二番目の奥さんについても、ぼくと一緒に暮らすということが、彼女にとって「どれだけ負担になっているのか」が、これもまったくといっていいほど理解できていませんでした。

けれども、彼女に別れ話を切り出されたとき、ぼくは

「きみがどうしても別れたいというのなら、それでかまわない。だけれども、今までぼくたちが一緒に暮らしてきた時間には意味はなかったんだろうかねぇ」

と言って、涙を流しました。

彼女はとても優しい人なので、それで思い直してくれて、それ以降、そのような形で「別れよう」と言うことはありませんでした。

とはいえ、それで問題が片付くはずもありません。

というか、それからが本番だったのです。

ことあるごとに、彼女は、ぼくの行動の身勝手さや嘘やずるさを、巧みな論理と感情に対する揺さぶりで、情け容赦なく攻撃してきます。

(なお、攻撃の内容は、ぼくの行動が彼女の気持ちを傷つけたことや、ぼくがロクに働かないこと、金銭に意地汚いこと、などです)

そのたびにぼくはノックアウトされて謝り、彼女の言うがままに約束をするのですが、その約束を守ることがぼくにはできません。

まさに、ダメ人間です。

けれども不思議なもので、ノックアウトされるごとに、こちらの覚悟もできてくるというのか、彼女の言う正論の中にも「身勝手」さがあることに気づいてきますし、お互いの関係性というものが、徐々に変わってくるんですね。

そうして、この六年ほどは、二人ともヴィパッサナ瞑想をやるようになったことも手伝って、互いに感情のぶつけ合いをするようなことが、だんだん少なくなってきました。

ぼくの身勝手な言い分としては、「どうしてぼくばかりこんなに責められなければならないのか」という気持ちでいたのですが、ある意味それは自分で撒いた種なんですよね。

でも、同時にそれはお互いの関係性の問題でもあるので、彼女のほうがぼくを「変えよう、変えよう」としても、ぼくはやっぱり変わらないし、変えられない。それぞれが少しずつ変わっていく中で、それが相手にも伝わって、また互いに変わっていく。

そういうことなんだと思います。

そんなこんなで、今の奥さんとの結婚は、もうじき18年になろうとしています。

この18年、ぼくはぼくなりに頑張ってきたのだと思いますが、何かを無理に我慢するというのは、嫌いなんですよね。

もちろん、好き勝手にすればいい、というものではないのですが、「社会的な常識」とか「人の思い込み」に勝手に嵌めこまれても困る、といった感じでしょうか。

日本ではどうしても「周りに合わせるためにがんばる」ことになりがちです。

それを自然にできる人は、それでまったく結構なのですが、そううまくできる人ばかりではありません。

「周りに合わせられない」あなたにも「がんばれない」あなたにも優しい社会であってほしいと、本当に思うのです。

だから、最後にもう一度書きます。

「無理になんて、がんばらなくていい。どんな選択をしても、道は必ず開けるから」

ロクでもない選択をして、ロクでもない人生を送り続けるぼくからの、あなたへのエールです。

  *  *  *

なお、この記事はガジェットさんの記事、
【兄弟・障害・結婚】めぐり逢う運命って本当にあると思うから。しっかりと捉えてほしいから。1/3 - 下級てき住みやかに.com
に触発されて書きました。

ガジェットさん、ありがとうございます。

てなわけで、みなさん、さようならーーっ♬

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