社会学者の宮台真司氏が、「言葉の自動機械」になってしまった現代人について警鐘を鳴らしています。
あまりにも周囲の目を気にしすぎるわたしたち日本人は、現状を客観的に観察し、「承認欲求を超える」自由な生き方を手にすることができるのでしょうか。
あなたも「言葉の自動機械」?
「言葉の自動機械」とは耳慣れない言葉ですが、これは社会学者の宮台真司氏の使う言葉で、現代の人間が無意識的に刷り込まれた言葉の構造にしたがって自動的に行動するあり方を批判的に表したものです。
自分が自動機械だと言われたら、あなたはどう感じるでしょうか。
「自分は自由な存在で、行動だって自由に決めている。機械呼ばわりされるおぼえはない」そんなふうに思いますか?
もしあなたが自信を持ってそう言えるのならば、この記事でこれから書くことは、あなた以外の多数派の人の話ということになります。
でも多くのみなさんは、あなたが多数派に属するか、少数派に属するかに関わらず、自分が周りの意見に大きく影響されていること自体は否定ができないはずです。
たとえばネットで流れるニュースを見たとき、あなたの心の中で起きる反応は反射的なものであり、自動的なものです。
そこで感じたことにもとづいて「スキ」をしたり、シェアしたりするとき、あなたは自動的に反応しているのではなく、それをするべきかしないほうがよいか、一つ一つ判断しながら行動しているでしょうか。
誰もが自由意志にもとづいて行動しているのは間違いがないとしても、このように自分の行動を確かめていくことによって、人間の習慣的な行動の多くが自動機械化していることも、また確かな事実であることが分かってくるはずです。
行動を自動的に行なえるようになることには、大きなメリットもあります。
たとえば車の運転は、多くの人にとったかなり難しいことであり、習い始めにはたくさんのことを意識しなければできません。
ところが練習と経験を重ねることによって、初めは意識しなければできなかったことが、無意識にできるように自動化されて、いとも簡単に運転ができるようになるわけです。
問題は自動機械化した行動が、時代の変化によって役に立たなくなったときです。
日本人は自分が属する集団を優先することで、敗戦から素早く立ち直り、経済的な発展をとげることができましたが、この集団優先という自動機械が今や機能不全を起こしています。
機能不全を起こした自動機械化を正すには、一体どうしたらいいのでしょうか。
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自動機械化から逃れるためには「観察」することが必要
宮台氏は、無意識的に行なわれる自動機械的な行動は、意識的に観察することによって是正することができるのだと言っています。
つまり自動的に行なわれる行動を変えるためには、まず自分が無意識のうちに何をやっているかに気づかなければなりません。
自分の行動を観察することがすべての出発点となります。
宮台氏はラカンの思想などを援用して、自己観察による意識の高次化を言うのですが、ここでは瞑想による自己観察をおすすめしたいと思います。
映画監督の想田和弘氏はスリランカの僧侶スマナサーラ氏の『怒らないこと』という著作を「わが人生最高の10冊」の一冊めに挙げています。*1
自動反応的な感情で誰もが悩まされるものとして、怒りは一番大きなものでしょう。
この感情の自動機械から逃れるには、抑えようとしてもうまくいきません。とにかく観察することが必要なのです。自分が起こっているときに、呼吸を観察し、体に起こる感覚を観察し、心の中で湧き上がる思考や感情を観察できるようになったら、あなたはあと一歩で怒りのコントロールに成功するところまで来ているのです。
普段から呼吸に意識を向ける練習を少しずつ重ねていけば、自分を客観的に観察することができるようになり、自動機械的な行動に悩まされることもだんだんと減っていくことになります。
☆呼吸から始める瞑想法についてはこちらの記事もどうぞ。
「承認欲求を超える」自由な生き方って何?
宮台氏は、物質的な豊かさが飽和し、経済成長が望めない現代の日本においては、sns上でのコミュニケーションに典型的に見られる「承認欲求満たし」という行動様式が問題となっていることを指摘します。
社会的な閉塞感が大きなストレスとしてのしかかる中、ネット上では「承認欲求」をベースにした「相互承認ゲーム」や「相互否定ゲーム」が無間地獄のように繰り返されています。
この状況から抜け出すために「俺ってやっぱダメだな」と自分を笑い飛ばすことを彼はすすめます。
才能や成果を喧伝する社会の中で、あえて自分の「ダメさ」を認めることは、勇気のいることですが、そこで一歩踏み出すことが、社会の圧力が押しつけてくる息苦しさから逃れることにつながるわけです。
宮台氏は「世の中は無意味だ、でもそこそこ楽しい」という考え方ができれば生きていくことができるのだと言います。
*2
これにならって言えば、
「ダメだってかまわない、そこそこ楽しく生きられれば」
ということができるでしょう。
ぼくたちは周りの評価を気にしすぎるあまりに「承認欲求満たし」のゲームにはまり込み、ありもしないゴールを目指して、目の前にぶら下げられた透明のニンジンを追いかけて走り続けます。
けれどもそれが社会から気がつかないうちに刷り込まれて作り上げてしまった「無意識の自動機械」のなせる技なのだと知ることさえできれば、あなたはその「泥沼のゲーム」の土俵から降りることもできるようになるのです。
もちろん土俵から降りるといっても、完全に社会との関係を断って生きるというわけにはいかないでしょう。
必要十分な関係は保った上で、社会と意識的に距離を取るわけです。
宮台氏が「なりすまし」という言葉で表現しているのが、このことです。
集団優先の日本社会で素直に周りの声を聞いていたら、自分を殺して生きることになりかねません。
そこで「周りに合わせる」のではなく、「周りに合わせるフリをしろ」と宮台氏は説くのです。*3
そのとき少数派として生きているあなたは、合わせるフリの「無意味さ」を思い、うまく合わせるフリのできない自分の「ダメさ加減」に絶望し、いっそきれいに消えてしまいたいと思うかもしれません。
けれども「無意味な人生」と「ダメな自分」を素直に認めてしまいさえすれば、あなたはすべてを手放して、ただこの世界の奇妙な流れの中でぷかぷかと浮かび漂い、なんてことのない人生の中にも、そこそこに楽しめる何かがあることに気づくことだってできるはずなのです。
自分が自動機械であることに気づき、冷静に自分を観察するとともに、周りの自動機械に合わせるフリをすることによって、周りからの圧力をかわすことができれば、あなたは自分の内部に、主体的に自由に生きる空間を確保できるのです。
この小さな記事が、あなたが自由な人生を生きるに当たって、少しでも役に立てれば、望外の喜びというものです。
てなわけで、みなさんナマステジーっ♫
☆こちらもどうぞ
宮台真司・藤井聡「神なき時代の日本蘇生プラン」
言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシーンが日本を滅ぼす。
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☆なお、この記事はメタ (id:asc_meta)さんの記事
【落合陽一 宮台真司 対談2】 新時代どう生きる? まとめ 見れなかった人のために - 「好き」をブチ抜く
に刺激を受けて書きました。
メタさん、どうもありがとうございます。
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