+魂の次元+ (by としべえ)

肩から力を抜いて、自由に楽しく生きる。

日本語教師のあなたも、そうでないあなたも、「は」と「が」の使い分けがこれなら一発。「が」は前が焦点、「は」は後ろが焦点

みなさん、こんにちわー。
ほとんどペーパー日本語教師のとし兵衛です。

今回は、しんさんのこちらの記事
日本語の助詞「は」と「が」の違いは小学生でも理解できるシンプルな一文で違いを説明できる。日本語教師を長年悩ませてきた問題に終止符を打つ。 - SINLOG
が、おもしろかったので、この話題に相乗りさせてもらいます。

日本人なら何気なく使っている「は」と「が」ですが......

みなさんは、学校でならった国語の文法なんて憶えてますかね?

「は」は係助詞で、「が」は格助詞とかいうんですが、そんなこと憶えてなくても日本語くらい普通に使えますから、どうでもいい話ですね、はっきりいって。

外国の方が日本語を勉強する場合は、ぼくたちが学校で習う「国文法」とは違う「日本語文法」を使うので、係助詞とか格助詞とかいう言葉は出てこないんですが、たとえば、どうしてもひっかかるところといえば、

  • 「は」と「が」の使い分け

です。

マーク・ピーターセン氏の「続・日本人の英語」(1990 岩波新書)*1に、氏が日本語を勉強しているとき、先生が「は」と「が」の使い分けに厳しく、「雨は降る」と書くと「雨が降る」だと正してくる、というエピソードがあります。

ピーターセンさんは、「どうして『は』はだめで『が』なのか?」と聞くのですが、先生は「だめなものは、だめだ」と怒るだけ。

あるときピーターセンさんはアダモの「雪は降る」を聞いて、次の授業で先生をやっつけます。

「雪は降る。あなたは来ない」って歌ってるじゃないかって。

というわけで、一筋縄では説明ができない「は」と「が」の使い分けなのですが、しんさんの記事にあった説明がなかなかのすぐれものでしたので、まずはそれをご紹介しましょう。

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「が」は前が焦点、「は」は後ろが焦点

先に上げた記事で、しんさんがシンガポールの優秀な日本語学習者に教わったという「は」と「が」の使い分けの説明は、

「は」は「は」の直後が主題で「が」は「が」の直前が主題である。

というものです。

「主題」という言葉は日本語の文法においては、助詞「は」の機能を表すのに使われますから、この記事では「焦点」という言葉を使うことにして、

  • 「が」は前が焦点、「は」は後ろが焦点

ということにしましょう。

すると、

  • 雪が降る

は、「が」の前の、今眼の前で「何」が降っているのかというところに話題の焦点が当たっていますから、「が」でいいことになりますし、

  • 雪は降る、あなたは来ない

の場合は、雪は「降って、私のところに来る」のに、あなたは「来ない」という意味で、「は」の後ろの「降る」に焦点が当たっていると説明できるわけです。

どこまで説明できるか考えてみよう

  • 質問はありません

しんさんの記事で、問題になった最初の質問は、

「質問はありますか?」に対する答えが、どうして

○「質問はありません」

が正しくて

✕「質問がありません」

は間違っているのか、ということでした。

質問が「あるのか、ないのか」という「は」の後ろに焦点が当たっているから、「質問はありません」でいいことになります。

けれども、ここで「質問がありません」が使えないのは、「が」の前の「質問」に焦点が当たるから、というのはちょっと違う気がします。

このことはあとで、改めてあとで取り上げます。

  • 象は鼻が長い

二重主語とも呼ばれる、日本語らしい有名な文章です。

「象は」+「鼻が長い」と考えると、「鼻が長い」に焦点が当たっていることになり、「鼻が」+「長い」の部分を取り出すと、「鼻」に焦点が当たっていることになりますね。

「は」の機能を「主題の提示」と考えると、文全体の主題は「象」であり、その話題の中で「鼻」に焦点が当たっているとも言えます。

この説明はいいですね。

  • 「ぼくがたぬきだ」「わたしはきつねだ」

「このたぬきそばは誰?」
「ぼくがたぬきだよ」→「ぼく」に焦点が当たってます。

「わたしはきつねだよ」→「きつね」に焦点が当たってます。

これもいいですね。
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その他の問題

「質問がありません」否定形の場合

言葉というのは文脈によって適否が決まってきますので、ぱっと聞いたときにおかしな表現に思えても、前後関係が分かると「ああそうか」と納得できる場合があります。

「質問がありません」という言い方も、単独で使う状況は思いつかないのですが、

  • 「質問がありませんでしたから、黙っていました」

のような場合は「が」を使っていても特に不自然ではありません。
(人によって許容範囲は異なりますから、不自然に感じる方もいらっしゃるでしょうか?)

さて、これを

  • 「質問はありませんでしたから、黙っていました」

としたらどうでしょうか。

こちらのほうが「普通」の言い方だとは思うのですが、「が」を使った場合とどうニュアンスが違うのか、うまく説明できません。

どなたか、説明がつく方、ご教示願いまーす。

対比の「は」

しんさんの記事へのブックマークで、id:Yusuke_UPennさんが、

「他の子は知らないけど「太郎は」来ましたよ。(対比) [中略]」とか、「は」は後ろを強調だけだと困る気がする

と書いてらっしゃいます。

「は」の「対比」の用法については、確かに「後ろに焦点が来る」というだけでは説明が不十分ですね。

「は」の基本機能が「主題の提示」であり、そこから派生して「対比」の用法があるわけですから、そのことは説明の必要があるでしょう。

けれども、

✕「太郎が来ましたよ」

が答えとして適さない理由としては、「来たか、来なかったか」に焦点が当たっているからだ、ということだけでも十分ではないでしょうか。

新しい対象と既知の対象、"a" と "the"

「昔おじいさんがいた。おじいさんは山へ柴刈りに行った」

という文章の「が」と「は」の使い分けから、「が」は「新しい対象」を指し、「は」は既知の対象を指す、英語で言えばそれぞれ、"a" と "the" の役割を持っているのだ、という説明の仕方があります。

けれどもこれも、

  • 「おじいさんがいた」は初めて出てくる「おじいさん」に焦点を当てており、
  • 次の文はそのおじいさんの行動である「山へ柴刈りに行った」に焦点を当てている

ということで説明がつきます。

おまけに、こういう文章が続いたらどうでしょうか。

「おじいさんがたくさんの柴を集めたところへ、熊が現れた」

熊は「新しい対象」ですが、おじいさんがもう一人現れたわけじゃないですよね。

どうしてこうなるのかは、宿題にしておきましょうか。

国文法、三上文法、日本語教授法についてちらりと

id:chuujou さんが

三上文法は、外国人への指導には使われているけど、学校国語には採用されていないというアレね

とブックマークで書いていますが、三上章さんの文法論では、こういう「は」と「が」の対比みたいなことも話題として取り上げられいるのでしょうかね。

で、学校国語と外国の方向けの日本語教育の中身が違うのはその通りなのですが、日本語教育に三上文法が活かされているかというと、必ずしもそういうことではないと思います。

国語以外の日本語教育に使われる日本語文法は、国文法の煩雑さを捨て去って、かなりすっきりしたものになってはいるのですが、『「は」と「が」の使い分け』といった個別の問題については、必ずしも分かりやすい説明がされているとは言えません。

そういう意味で、今回紹介した

  • 「が」は前が焦点、「は」は後ろが焦点

というような説明は、「すべてがこれだけで説明可能」というわけではないにしろ、「ちょっと考えるとぱっと分かる」という意味では、学習者にとって、とても便利なものに間違いありませんから、新しいものに抵抗のない日本語教師の方には、どんどん取り入れていってもらいたいものだと思います。

また、この説明が

  • シンガポールの日本語超上級者の人たちの間では「常識」になっている、

というのもおもしろい話で、シンガポール以外ではどうなんだろうかと、いろいろ興味を惹かれるところです。

ちなみに、日本語に主語はないとする、三上さんの代表的な著書はこちらです。ご参考まで。
三上 章「象は鼻が長い 日本文法入門」(くろしお出版)

てなところで、この記事はおしまいです。
それでは、みなさん、ナマステジーっ♬

*1:岩波新書から出ているピーターセンさんの「日本人の英語」シリーズは全部で四冊あって、どれもおもしろくてためになりますので、英語の勉強がてら読んでみると楽しめると思いますよ。

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