+魂の次元+ (by としべえ)

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新型コロナ対策、外出制限を行なわず、相互監視に任せる日本のソフト全体主義と未来への希望

東京都の小池知事が3月30日夜8時半ごろから緊急の記者会見を開き、
「夜間の酒場 出入り自粛を」呼びかけたことがNHKによって報道されています。

小池知事は「厚生労働省のクラスター対策班の専門家の報告によると、感染経路が不明な症例のうち、夜間から早朝にかけて営業しているバーやナイトクラブ、酒場など接客を伴う飲食業の場で感染したと疑われる事例が多発していることが明らかになってきた」と述べました。

NHK WEBより

この記事では、新型コロナの感染爆発に対する、こうした「自粛要請」という対応についての問題を考えます。

自粛要請と相互監視のパノプティコン的監獄社会

過去遡及型パノプティコンと公正世界信念によって感染経路不明者が増加して、自覚のない感染者や自覚があっても行動を変えない感染者がさらなる感染者を増やす。社会的な収束よりも自分自身の目の前の問題が大切だし、そう思わせてしまう様々な施策や制度が失敗に転じているという事なのだろう。

過去遡及型パノプティコンと公正世界信念によって増加する感染経路不明者 - 太陽がまぶしかったから

池田仮名 (id:bulldra)さんはこのように書いて、自粛要請という政策の失敗を語っています。

パノプティコンとは全展望監視システムのことです。ここでは市民が相互に監視し合うことによって、進んで監獄を作っていく状況を意味します。

過去遡及型とは「感染が分かったことによって過去の行動を後から暴露されて責められる」ということです。

つまり「バーやナイトクラブで夜遊びをしているものは叩いてかまわない」というわけです。

こうして新型コロナに対する恐怖から息苦しい相互監視社会が立ち上がっていくにも関わらず、人間の自由な行動自体に制限はかけられないことから、感染は広がり続けているというわけです。

恣意的な自粛要請と「自粛要請」自体のはらむ矛盾

「バーやナイトクラブ、酒場など接客を伴う飲食業の場で感染したと疑われる事例が多発している」と知事は述べているわけですが、疑いがあるというだけで確証はありません。

本当にバーやナイトクラブで感染が多発していると考えられるのか、また通勤列車では感染が起こらないと言えるのどうか、それぞれの状況を厳密に考慮することなく、「夜遊び」だけを問題視して自粛要請することは、まったく恣意的であり、感染防止に役立つものとは思えません。

そもそも「自粛要請」という用語自体が矛盾に満ちています。

bokukouiさんの説明が分かりやすいので引用します。

「自粛」という言葉を辞書で引いてみると、

「自分から進んで、行いや態度を慎むこと。」

 という定義が示されます。「自分から進んで」というのがポイントで、だから「自」粛なのですね。
 ところが、「要請」というのをこれまた辞書で引くと、

「必要だとして、強く願い求めること。」

 となります。
 「自分でから進んでやる」ように、他者が「強く願い求める」というと、自主的なんだか命令なんだか、はなはだあいまいになってきます。

自粛はいつから要請されるようになったのか : 筆不精者の雑彙

こうして考えてみると、「自粛要請」は結局実質的に命令であり、法的な制裁はない代わりに、相互監視によって国民同士の関係を監獄化させます。

その結果として、ソフトな全体主義社会体制を強化する装置として機能するのです。

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新型コロナから学ぶべきものと未来への希望

新型コロナウイルスの蔓延によって経済がうまく回らない状況については、政府が十分な施策を打って、社会的な弱者を筆頭に、社会全体が受けるダメージを緩和することが必要です。

一方で、この新型コロナ騒ぎは、経済一辺倒の現代社会のあり方を見直すいい機会でもあるでしょう。

世界的に多数の死者が出ている現状の重さはしっかりと受け止めた上で、物質的繁栄だけを重視するような社会のあり方を考え直す時期に私たちは差し掛かっているのではないでしょうか。

昨日までの日常生活が消え去りかねないような情報が飛び交い、重苦しい相互監視の空気が漂う中で、私たちは不安を抱えて、ストレスのやり場にも困ります。

けれどもそんな状況だからこそ、未来への希望を持ち続けることが大切です。

新型コロナのこれ以上の蔓延を防ぐためには、東京でも自粛ではない外出制限の実施も十分考えられます。

見通しが立たず、不安な時間が続きますが、いずれすべては収まって、日常的な生活が戻ってすることは間違いありません。

75年前の戦争のときも、いつまで続くか分からない恐怖と不安の中で、人々はしっかりと生き続けたのです。

ソフトな全体主義化がとどまることを知らない日本の現状ではありますが、やがては「あんな時代もあったね」と笑って語り合える日がくることを信じて、日々を生きていこうではありませんか。

それではみなさん、ナマステジーっ♬

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